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文化財

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ハヌムルと第2ウムル址
ハヌムルと第2ウムル址ハヌムルは衿川区始興洞山93-2の虎岩山頂上(海抜315m)にある。ハヌムルはかつて龍洑(ヨンボ)又は龍湫(ヨンチュ)と呼ばれていた。統一新羅時代(6~7世紀頃)に築造された後、朝鮮時代に少し西側に移して再築造された。統一新羅時代に築造された井戸の規模は東西17.8m、南北13.6m、深さ2.5m、朝鮮時代のものは東西22m、南北12m、深さ1.2mである。
この井戸は、日照りの際に雨乞い祭りが行われ、戦時中は軍事用として使用されていた。
壬申倭乱(文禄の役)の際、韓国の将軍・宣居怡(ソン・ゴイ)がこの地に陣を張り、幸州山城の権慄(クォン・ユル)将軍と共に倭軍と戦いながら、この井戸を軍事用水として使用した。『東国輿地勝覧』には、「虎岩山には古い城があり、その城の内部には池が一つあり、日照りになると雨が降るように祈った。」と記録されており、旱魃時に雨乞い祭りが行われていたことが窺われる。一方、朝鮮王朝建国説話に関連し、防火用との説もある。また、「第2ウムル址」は、ハヌムルから東南に300mほど離れた地点にあり、南北18.5m、東西10m、深さ2mであることが1990年の発掘で明らかになったが、まだ復元されていない。山の頂上にあるにもかかわらず常に水量が一定で澄んでいるため、神秘を感じる井戸である。
順興安氏良度公派墓域
順興安氏良度公派墓域順興安氏良度公派墓域は、高麗時代末期から朝鮮時代にかけて築造されたもので、衿川区始興洞山126-1に所在する。ここには、高麗時代末から朝鮮時代初めの文臣であった良度公・安景恭(1347~1421)をはじめとするその子孫の墓が3基あり、墓以外にも、朝鮮時代の2品以上の官職者のために建てられた神道碑が3基ある。また、文人の姿を模した文官石と武人の姿を模した武官石が据えられ、その間に火を灯す長明灯が建てられている。この場所は一つの家門の多くの墓が密集しているため、朝鮮初期の墳墓制度を研究する資料として、歴史的な価値をもっている。
虎岩山城址
虎岩山城址山城址の平面形態は北東-南西方向にやや長い菱形をしており、標高325mの稜線に沿って築かれた典型的なテメ式(築城法の一つで、山頂を中心に城を築く方式)山城である。自然の地形を巧みに利用して築造されており、城壁の全長は1,250mほどと推定される。山城が長きにわたって放置されていたために、現在は約300mの城壁だけが比較的良好な状態で残っている。虎岩山城の築城目的とその時期を伝える直接的な文献資料はないが、山城の発掘調査過程で出土した遺物・遺跡や山城の位置的な立地条件、地形等を根拠に関連する文献資料と比較した結果、築城時期は統一新羅時代の文武王12年頃と思われ、羅唐戦争当時、漢江を渡って水原まで行く陸路と南陽湾に侵入する海路を新羅が効果的に防御、攻撃するために築かれた要塞と推定されている。
石狗像
石狗像ハヌムルから東北に50mほど離れた地点に動物の石像が一軀あるが、これは朝鮮王朝の都邑説話に関連するヘテ像として知られている。この石像は景福宮のヘテと向かい合う位置に置かれ、冠岳山の火気を抑え、首都ソウルの火災を防ぐために建てられたという。
しかし、この石像の形はヘテというよりも犬の形に近く、『京畿邑誌』(1956年)等の記録によれば、石狗像と見るのが正しいようだ。像の大きさは、長さ1.7m、幅0.9m、高さ1.0mほどで、石像の制作技法は細密かつ写実的で、目鼻立ちがくっきりと浮き彫りにされており、足や尾の部分も写実的に描写されている。
石薬師仏坐像
石薬師仏坐像石薬師仏坐像は、衿川区始興2洞234に位置する虎圧寺の薬師殿にある。制作年代は16世紀頃(推定)、材質は石材で、高さ102cm、肩幅36cm、膝幅56cmであり、2000年4月1日にソウル特別市文化財資料第8号に指定された。石薬師仏坐像は、頭の髷の位置が低く、髪の毛は細緻に表現されており、顔は広い四角形でややボリュームがあり、高麗末期から朝鮮初期にかけての様式である。顔や膝の損傷した部分は金粉を塗って補修されている。
虎圧寺
Hoapsa Temple Image衿川区始興2洞234番地にある虎圧寺は、朝鮮王朝太祖2年、王の命を受けた無学大師によって創建された。その後、1841年に修築され、1935年に再び薬師殿6間が改築された。衿川区で唯一の伝統ある寺院、虎圧寺は、その創建に際して次のような伝説が伝えられている。
太祖が朝鮮を建てて宮殿を建設したとき、物事が順調に運ばず、建てた宮殿が繰り返し倒壊した。そんなある夜、暗闇の中に半分が虎、もう半分は得体の知れない奇怪な怪物が現れ、目から火を吐いて建物を燃やそうとした。
太祖は怪物に矢を放つよう命じ、矢が雨あられと降り注いだにもかかわらず、怪物はこれを物ともせずに宮殿を崩壊させ、消え去った。
太祖が鎮痛な思いで寝室に入ると、どこからか「漢陽は他と比べようのないほど素晴らしい都よな。」という老人の力強い声が聞こえた。太祖が驚いて「誰か。」と尋ねると、「そんなことはどうでもよい。将軍が案じていることを解決して進ぜようとやって来た。」と答えた。太祖が、「どんな名案があるのか。」と尋ねると、老人は、遥か遠くに見える漢江南方にある山の峰を指差した。太祖は月光の中で老人が指差した場所を見て、はっと声を上げた。「虎だ! あの虎の頭の峰が漢陽を見下ろしている。」と言い、その峰の気運を封じる方法を教えてくれるよう老人に頼んだ。
老人は、「虎は尻尾を踏まれると身動きが取れなくなる獣であるゆえ、あの虎の形をした峰の尻尾の部分に寺を建てれば、万事が順調に運ぶであろう。」と答えるや、忽然と消え去った。王はその翌日からその場所に寺を建て、「虎圧寺」と命名したという。
金素月の詩集『つつじの花』
金素月の詩集『つつじの花』1925年12月26日に売文社から発行された詩集『つつじの花』は、詩人である金素月(本名:廷湜、1902.8.6~1934.12.24)が生前に発刊した初版本の詩集で、抑制された調べの中に土俗的、伝統的な情緒が込められた詩作品を多く収録している点が評価され、文化財に登録された。
『つつじの花』は、素月の死後も多くの出版社から詩集が発刊されるほど、韓民族に最も愛される作品の一つに挙げられる。この詩集には、古代の詩歌である「カシリ」(高麗歌謡の一つで、別れを惜しむ歌)や「アリラン」の脈を継ぐ離別の歌の白眉、「つつじの花」をはじめとし、「のちの日」、「山有花」、「お母さん、お姉さん」、「招魂」等、珠玉のような作品が収録されている。